忍者ブログ
国際親善空手道連盟 心空会公式ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

道場訓

一、常に礼を忘れないこと

一、努力精進する事を怠らないこと

一、親に感謝し、親孝行すること

一、押忍の精神を忘れず、粗暴な振舞を慎むこと

一、心空会空手を通じ、正しい人の道を全うすること


======================================================

道場訓の理解

一、常に礼を忘れないこと

全ての武道は「礼にはじまり礼に終わる」と言われます。
空手道もまた礼を重んじ、常に礼を正しくしなければなりません。
相手と闘い、相手を倒す武道である空手に「礼」がなくなったらただの「ケンカ空手」になってしまいます。
自分以外のすべての人は、どんな人でも必ず学ぶべき点をもっています。
「我以外皆師(自分以外はみんな先生)」という気持ちを持てば、
自然に誰に対しても礼儀正しくすることができます。

一、努力精進する事を怠らないこと

厳しい断崖絶壁をよじ登ろうとするときに、
少しでも力を抜いたりさぼったりしたらたちまちガケの下まで転落してしまいます。
空手の道もまたしかりです。
練習でつらいとき、少しでもさぼろうとすればすぐにみんなに追い超され、
自分よりも帯が下の子に負けてしまいます。
苦しいときこそ努力・精進することを忘れないようにしてください。
試合でも組手練習でも自分が苦しいときは相手も苦しいのです。
だからがんばり抜かなくてはいけません。
しかし、相手が苦しさにひるんで一歩下がった時に
自分もほっと一息ついてしまっては何にもなりません。
死力をふるい、相手が引いた一歩分踏み込んでこそはじめてそこに勝利がひらけます。

一、親に感謝し、親孝行すること

これはあえて道場訓にかかげるまでもない人として当然のことです。
フルコンタクト空手の創始者である極真会館の大山総裁が生前、
常に「親孝行のできない子は所詮何もできない」とおっしゃってみえました。
これは、親孝行をするというあたりまえのこともできない子は、
厳しい空手の修行もできるわけがないし、もし練習しても強くなることはできないという意味です。
空手と親孝行は関係ないと思うかもしれませんが、大いに関係しているのです。
わが心空会空手も大山総裁のおっしゃる言葉を胸にきざみこんで道場訓にしました。

一、押忍の精神を忘れず、粗暴な振舞を慎むこと

押忍の精神とは、気持ちは相手を押しつつも、しかし耐え忍ぶ精神という意味です。
自分が身に覚えのある空手で人前でかっこいいところを見せようとするのはもってのほかです。
空手は人を傷つけるためのものでは断じてありません。
厳しい修行を通じて正しい人の道を歩むものです。
昔から空手は「君子の武道」とされてきました。君子は人と争うことは好みません。
したがって、たとえ相手が悪くても耐え忍ぶ心を身に付けてください。
そして、むやみに乱暴な振舞をすることは厳に慎むようにしてください。
どうしても自分の身を守らなければいけないとき、または、
自分の大切な人を守らなければいけないときにはじめて空手を使うようにしてください。
刀は常に磨いておくべし。
しかし、その刀をサヤから抜くことは一生に一度あるかないか、
なければないにこしたことはないのです。

一、心空会空手を通じ、正しい人の道を全うすること

心空会空手を修行し、立派にそれに耐えることができた子は、
大きくなっても断じて不良や悪い大人にはなりません。
鋼鉄のような強い意志ができるからです。
みんな縁があって心空会空手をはじめたのですから、
途中でくじけることなく立派な大人になってください。

PR
Template by Crow's nest 忍者ブログ [PR]